使徒言行録20章25~32(旧約 列王記下22章8~13)
25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。
26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。
27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。
28 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。
29 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。
30 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。
31 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。
“我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す”
原発被災地の教会
先月、福島県の教会を訪ねて回ったことは、既にご報告しました。お訪ねした牧師の1人に、福島県の浜通りの南相馬市にある鹿島栄光教会の佐々木牧師がいます。鹿島栄光教会は、礼拝出席が7名ほどの小さな教会です。実は佐々木牧師は入院されていて、私たちは入院先の相馬市の病院まで押しかけて行って、お話しをうかがいました。佐々木牧師は震災による原子力発電所の爆発の災害の避難勧告にもかかわらず、逃げなかった人です。原発から30キロの地点にあります。広報車がやってきて、「明日バスを用意しているから逃げろ」という突然の避難勧告だったそうです。そして教会のある隣組10件のうち、9件が避難した。つまり佐々木牧師一家以外はみな避難したそうです。日曜日は、牧師家族と、もう1人で礼拝を守ったそうです。
なぜとどまったのか。その理由について、病気持ちのお子さんがいたことが大きな理由だそうです。そして、このことは「リバイバルジャパン」というキリスト教の雑誌にも掲載されましたが、それによると私たちの9月11日の礼拝でも歌いました聖歌397番「とおきくにや」(関東大震災の時に作られた聖歌)を口ずさんでいると、「神さまが何とかしてくださる」という気持ちになったそうです。そして、イエスさまが十字架で死なれて、エマオに向かう道をとぼとぼ歩いていた二人の弟子のところに、復活のイエスさまが現れて一緒に歩かれたように、絶望してとぼとぼ歩いているような自分にもイエスさまは必ず現れてくださると信じたそうです。そうして踏みとどまった。
二千年前の復活のイエスさまが、今も同じように来て下さると信じる。まさに聖書は昔話などではなく、今、このひどい原発被災地においても福音書に書かれたとおり御言葉によって、生かされている人がいることを教えられました。
世々の聖徒と共に
しばらく「日本基督教団信仰告白」を続けて学んできました。今日でいったんそれを終えることとします。このあと「使徒信条」が続くのですが、それはまた機会が与えられることを待ちたいと思います。
本日の信仰告白の文は、「我らはかく信じ、世々の聖徒と共に使徒信条を告白す」というくだりです。「かく信じ」というのは、今まで学んできた信仰告白の文章です。そして「代々の聖徒と共に」ということは、この二千年間のキリスト信徒たちと共に、その多くの先輩クリスチャンたちと共に、ということです。その歴代の教会に生きた聖徒たちと共に「使徒信条」を告白しますと述べています。それは聖書の信仰のエッセンスであると言えます。
私たちは、時代を超え、歴史を越え、国境と民族を越え、同じ信仰に生きるキリストの民である。同じ聖書、同じ信仰によって立てられた民である。それが使徒信条を共に告白するということです。これは考えて見れば、すごいことです。そして、代々の聖徒がそうであったように、再臨のキリストを共に待ち望む。すなわち、イエス・キリストの使徒たちが伝えたキリストの福音を、何も変えることなく、そのまま伝え、信じて生きることを宣言しているのです。
見つかった律法
きょうは、旧約聖書の列王記下22章に注目したいと思います。時は紀元前六百数十年、イエスさまがお生まれになるよりも六百年以上前、今から二千六百年以上前のことです。ユダ王国では、ヨシヤという人が王様になりました。父のアモン王が、家臣の謀反によって殺害されたため、8歳の若さで王として即位しました。
父のアモン王、そして祖父のマナセ王は、いずれも主なる神の御心に従わない王でした。そのために国は乱れ、主の戒めは守られず、偶像礼拝が横行しました。しかしヨシヤ王は、祖父や父とは違って、神さまに忠実に従おうとして歩みました。そして、荒れていたエルサレムの主の神殿の修理を開始したのです。するとある日、神殿から律法の書が見つかったのです。
律法の主が見つかった、という表現を聞いて、「おや、おかしいな?」と思われた方は聖書をよく読んでおられる方です。なぜなら、律法というのは、イスラエル人にとってもっとも大切な書物であって、毎日それを読んでいなければならない物のはずだからです。それが「見つかった」ということは、それまで失われていたということであり、読まれなくなっていたということだからです。
律法がどんなに大切な物であるのかは、出エジプト記から始まるモーセの物語を読めば明らかとなります。かつて、イスラエルの指導者であったモーセが神さまからいただいたのが十戒を始めとした律法です。神さまはイスラエルの民が未来に渡って守るべき物として律法の掟を与えられました。それがどんなにきつく命じられていたかというと、例えば旧約聖書の申命記に次のように言われています。(申命記6:6~9)「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
「寝ている時も」と言われるぐらい、決して忘れないように繰り返しこれを学び、記憶しなさいと言われているのです。また、律法を守ることについての祝福は次のように書かれています。‥‥(申命記28:1)「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。」‥‥と、神さまのすばらしい祝福を約束されています。
しかし律法を守らない場合については次のように述べられています。‥‥(申命記28:15)「 しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。」
このように、きつく、何度も繰り返して、律法を守るように命じられていました。ところが、このヨシヤ王の時代、その律法が忘れ去られ、律法の記された巻物自体がどこかに行ってしまっていた。神さまがかつてあれほど警告されていたのに、忘れられてしまっていたのです。
悔い改め
しかしその律法の書が見つかって、それが朗読されました。するとそれを聞いたヨシヤ王は、自分の衣を裂いたと書かれています。衣を裂くというのは、たいへんな悲しみを表したり、あるいは神さまの前に悔い改めることをあらわします。ヨシヤ王は初めて律法の書を聞いて、ショックのあまり悲しみ、そして悔い改めたのです。
そして家臣たちに女預言者フルダのもとに、神の御心を尋ねに行かせました。すると主は預言者を通して語られました。律法を守らなかったイスラエルの民に裁きを下すと。しかし同時に次のように語られました。‥‥「わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。わたしがこの所にくだす災いのどれも、その目で見ることがない。』」(22:19~20)
主は悔い改める者を赦されるのです。主は悔い改めることを待っておられるのです。そしてヨシヤ王は、そのあと「ヨシヤ王の宗教改革」と呼ばれることを断行しました。人々に律法を読み聞かせました。そして主の神殿から、異教の偶像の神々を撤去し、偶像礼拝を国から一掃しました。
日本の教会
それはかつてのイスラエルの国での話しです。しかしそれは決して他人事ではありません。私たち自身はどうか。私たちは、聖書のみことばを読んだ時、ヨシヤ王のように自分の衣を裂くほどに自らの罪を悲しみ、悔い改めるだろうか、ということです。
これは日本の教会をかえりみた時も、同じことが言えます。日本のキリスト教徒の割合は、世界で最も少ない国の一つであると言われます。ところがお隣の韓国は、終戦後にものすごい勢いでクリスチャンが増えていって、今や人口の4分の1がクリスチャンであると言われます。韓国ドラマ「冬のソナタ」で有名になったヨン様もチェ・ジウもクリスチャンだそうです。今の大統領もクリスチャンです。国会議員には100人以上クリスチャンがいるそうです。
しかし韓国はもともとそうであったのではありません。ご承知のように、戦争までは韓国は日本の植民地でした。そしてキリスト教の割合も、日本とあまり変わらなかったのです。それが、戦後になって一気に韓国ではクリスチャンが増え、教会が成長していきました。前任地の富山の教会にも韓国人のクリスチャンが何人か来ておられました。そのうちの1組の夫婦の方は、自分の母国の教会は「小さい教会です」と言うのです。それで、「何人ぐらいいるのですか?」と聞くと、「300人ぐらいです」というのです。日本では300人の教会と言ったら大教会です。しかし韓国ではそれは小さい教会と言われる。韓国では、千人を超える教会は当たり前、1万人を超える教会も幾つもあるのです。そのように、韓国では戦後急速に教会が成長していきました。
ところが日本は全然変わらない。これはいったいなぜなのか?‥‥いろいろな人がいろいろな原因を言います。どれが本当の理由か、よく分からなくなるほどです。
しかし私が、はっきり言えることがある。それは神学校の同級生の韓国人や、今まで出会った韓国人のクリスチャンと接してきて、日本の多くの教会とは違うことが分かりました。それは、韓国のクリスチャンは、聖書をその文字通りに信じているということです。奇跡を奇跡として信じている。預言や異言など聖霊の賜物を聖書に書いてあるとおりに信じています。そして多くの主の奇跡があり、その証しが普通になされているということです。そして十分の一献金は当たり前のこととしてなされ、実によく祈ります。韓国の教会では、毎朝5時から早天祈祷会がおこなわれています。奉仕も実によくします。クリスチャンがそうであるということは、教会の牧師たちが聖書の通り説教しているからです。
しかし戦後の日本の教会では、決してそうではありませんでした。私も幼児洗礼から数えれば、途中教会を離れたこともありましたが、50年クリスチャンをしています。そして日本のキリスト教を見てきました。特に日本キリスト教団においては、欧米の現代の流行の神学に影響されてしまって、聖書を文字通りに信じなくなっていました。例えば、イエスさまの奇跡はなかったとか、奇跡物語はあとになって教会が作った話であるとか、イエスさまは実際に復活したのではなく、弟子たちの心の中に復活したのであるとか、イエスは神の子ではなく、貧しい人々を解放しようとした革命家であったとか‥‥。私の知っているある信徒は、牧師から「まだ復活など信じているのですか?」と言って笑われたそうです。
奇跡を信じなくなった。聖書は神の言葉ではなく、人間の作った話であるという主張がまかり通っていました。だから祈ることをしなくなりました。すべては人間中心、イエスさまはキリストではなく、社会を良くする革命家にされてしまいました。‥‥奇跡を信じないということは、神さまを信じないということです。神さまを信じない教会などに来るほど、世の中の人は暇ではありません。
私は、この違いが、戦後の韓国と日本の教会が、ここまで大きく違ってしまった大きな原因であると考えています。
(申命記28:15)「 しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。」
しかしヨシヤ王が悔い改めて、主がそれを受け入れて下さったように、日本の多くの教会も悔い改めて、本来の信仰に立ち返ればよいのです。「代々の聖徒」が変わらず保ってきた信仰に立ち返るのです。世々の聖徒が信じてきた、聖書の言葉に立ち返るのです。そこから伝道が再出発するのです。呪いは祝福へと変えられるのです。
来週から待降節に入ります。まず私たち自身が悔い改めて、主を迎える準備をしたいと思います。
(2011年11月20日)
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